最近、これまで〈自己完結社会〉論で「思念体」や「脳人間」という概念を使って述べてきたことを、「「思念体」の研究」という形でひとつの研究テーマとして構想できないかと考えています。
まず、ここでの「思念体」とは、AI、サイボーグ、メタバース、アンドロイドなど、21世紀の技術的環境によって生みだされることになる想像上の人格のことを指しています。
おそらく現在の私たちの世界観においては、人間の本質はこの物理的な身体にあり、そうした身体的な私がインターネットやVR空間といった「仮想世界」に関与して行くと想像されています。
つまり「物理世界」にこそ“本当の現実”や、”本当の私”が存在しているのであって、インターネットやVR空間を含んだ「非物理世界」がどれほど精巧に見えようと、それは本来の現実ではなく、またそこに存在する私は、あくまで「物理世界」にいる本来の私の影のようなもに過ぎない、といったようにです。
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「「思念体」の研究」が想定しているのは、科学技術が進んでいくと、こうした世界観に、ある種の逆転現象が生じるのではないか、あるいは、こうした世界観とは異なるまったく新しい世界観が成立してくるのではないか、ということです。
それは、人間の本質が、身体から切り離された精神体としての「思念体」にあって、その「思念体」としての私が、「物理世界」の身体やロボットアバター、あるいは「非物理世界」のVRアバターという形で、現実世界に具現化するという世界観です。
ここでは「物理世界」と「非物理世界」が現実として同等の価値や意味を持つものとして理解されます。そして身体的な私の存在が、数あるさまざまなアバターのうちの一つに過ぎないとして理解されているところがポイントです。
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下のリンク先の記事では、以上の問題意識のもと、そうした世界観がなぜ成立しうるのか、またそうした世界観が私たちにどのような問いを投げかけるのか、ということについて書いてみました。
よろしければ読んでみてください。
「思念体」の研究(序論)――メタバース、アンドロイド、サイボーグ化が拓く新しい世界観とその問題意識
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