地球1個分をめぐって

 久々に環境関連の原稿を書きました。今回は、持続可能な開発目標(SDGs)が流行化するなかで、あらためて「持続」とは何かについて書いたものです。

 私たちが持続可能性について語る際、しばしば、それが「何の」持続なのか、その持続によって「何を」目指しているのか曖昧なままに、概念が一人歩きをしている側面はないでしょうか?? 持続可能性やSDGsと言っておけば良いという風潮はないでしょうか??

 ここでは、私たちにとっての「持続」が、「いま」の持続を意味すること、その「持続」が目指すものとは、人々が持続的に振る舞う「システム」を構築することになっている、ということをいろいろな皮肉を込めて書いています。

 
「持続可能性は何を持続させるのか――「地球1個分」をめぐって環境哲学的に考える」

 はじめに
 1.「地球1個分」とは何か

  (1)人新世とエコロジカル・フットプリント
  (2)「地球1個」では足りないのか
 2.私たちにとって“持続”とは、“いま”の持続のことを指している
  (1)イースター島の寓話
  (2)脱成長という選択
  (3)惑星改造という選択
 3.持続可能性は、人々が持続的に振る舞う“システム”を構築することを目指していく
  (1)AIがもたらす、持続可能なシステムという未来
  (2)大破綻
  (3)「カプセル社会」のユートピア、「脳人間」のユートピア
 おわりに――〈有限の生〉の「世界観=人間観」を考える

(『環境配慮型材料』、AndTech、 vol.4、pp.77-86)

 以下、ご参考までに序文(はじめに)の部分を転載しておきたいと思います(なかなか一般的な方が手に取るのは難しいかもしれませんが、比較的平易な文体で書かれています)。

 
 持続可能な開発目標(SDGs)を中心として、時代はいま第3次環境ブームのただなかにある。そのため読者も、持続可能性やサステイナビリティといった言葉を耳にしたことがあるだろう。SDGsとは、ミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、2015年に国連で採択された国際的な行動計画のことを指し、そこでは環境問題や貧困問題などを念頭に、人類が2030年までに達成すべき17の目標と169のターゲットがあげられている。

 とはいえ読者は、次のように考えたことはあるだろうか。私たちは持続可能性が大事だと主張するが、はたしてそれは“何を”持続させることを指しているのだろうかと――。例えばそれは、人類の持続を指しているのだろうか、それともいまある自然生態系の持続を指しているのだろうか。またそれは、いまの生活水準を持続させ、いまある成長や発展を持続させることを目指しているのだろうか。それとも人類だれもが分け隔てなく先進国水準の生活を送れることを目指しているのだろうか。あるいは私たちのあり方が根本的に持続不可能であるとの認識から、現在とはまったく異なるあり方を目指しているのだろうか。実は、この問いに答えることはかなり難しい。というのも、今日語られる持続可能性の実質においては、貧困や格差の解消が大事、経済成長も大事、環境保護も頑張ろう、「全部大事だね」といった具合に、とにかく社会通念上良しとされていることが無造作に詰め込まれ、その本質がどこにあるのかが見えにくくなっているからである。

 本論では、この「持続可能性とは何を持続させるのか」という問いから出発し、いくつかの思考実験を交えながら環境哲学的に考えていく。そして今日の持続可能性概念が映しだす未来、つまり私たちがいかなる世界とへ向かっているのかについて考えてみることにしよう。

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